0009:1971年ルマン24時間
さて、今度は1971年のルマンです。前年度ルマン初制覇を果たしたポルシェは連勝を期しJWガルフチームとマルティーニレーシングチームをワークスサポートしました。このうち後年まで続くマルティーニチームは、実は70年にサイケデリックカラーの917を2台擁してルマンデビューを飾っていたものの、この年のシリーズ戦は前年優勝のザルツブルグチームの車両・ドライバーなどを引き継いで構成されていました。
むろん、主力はJWチームとされていましたがエースのシフェール組「17」とロドリゲス組「18」(LH仕様、テールが長いタイプ)はリタイアしてしまいます。
マルティーニのLH仕様「21」(Minichamp製)はエルフォード組が序盤にトップグループを走りましたが917の中では最初にリタイアします。後輪のスパッツがせっかくの速さをダメにしてしまったと言われています。ちなみに、この車両はその後ポルシェ博物館に(「Pig:917/20」と共に)展示されており、90年にシュツットガルトを訪れた際、写真に撮ったのを覚えています。
24時間目にトップにいたのがマルティーニチームのナンバー2、マルコ/レネップ組のK仕様(テールが短いタイプ)「21」でした。とはいってもこの車両は新規に製造されたマグネシウム製のフレームを有しており、ワークス勢の中でも気合いの入った1台だったのでしょう。2位に入ったのはJWチームのナンバー3、同様にK仕様の「19」アトウッド組でした。モデルは上と同じくMinichamp製ですが、通常ルートでは市販されたものではなく、レーシングチーム「T2M」が999個作成したもので、「モデルガレージロム」を通した販売のみですぐに売り切れとなってしまい、後日オークションを通じて入手しました。2台を比べるとエンジンやシャシー部分などが共通部品であることがよくわかります。
なお、この71年にはピンクで幅の広い車体で有名な917/20「pig」も出場しています(ドライバーの一人は後年プライベートチームオーナーとして永くルマンと関わっているヨースト)。この実車には10数年前ポルシェ博物館を訪ねた折に会うことが出来ました。こうしてポルシェ917がルマン24時間に関わった3年間の移り変わりを見ると、空力に対する考え方が変遷している様子が如実にわかります。(2007年6月20日に追加 )
0007〜0009の記述は二玄社刊・檜垣和夫著「ポルシェ906・910・907・908・917」の他、当時のCG誌を参照しました。
さて、2015年時点での追加車両をこれまでの3台と一緒に並べてみました。ポルシェの圧勝でしたがワークス参加ではないフェラーリが「SUNOCO」からエントリーされており、同年デイトナ24時間で勝利していたことからかなり楽しみにしておりました。
まずは、そのSUNOCOフェラーリ512Mから。マーク・ダナフューをエースに据える米国ペンスキーチームの車両で、フレームからブレーキパイプに至るまで徹底したフィニッシュが施され、ワークスマシンを凌ぐ競争力を備えていると言われました。レースでは一時2位まで躍進したものの突然のリタイアでした。モデルはイタリアのショップから直接購入したMGM製です。ウインドウのはめ込み段差はあるものの、なかなかよい出来となっております。
ポルシェ勢の筆頭格でありながら昨年度不甲斐ない結果に終わったJWガルフチムでしたが、今回は「19」アトウッド・ミューラー組が2位に入りました。前年度のエース車と同様の塗り分けですが、チーム内ではナンバー3の位置でした。「22」と同様にT2MブランドでMinichamps製。
同様に、マティーニ917K。
さらに、ピンクで「豚肉の部位解説」が書き込まれた917/20。
ちなみに、これらの写真は90年ではなく、2012年に新装なったポルシェ博物館で撮影してきました。90年当時はあたかも「車庫」的なスペースにぎっしりと並べられていたため、こうして全景を撮るなどは出来なかったような覚えがあります。残念ながら銀塩フィルムでの記録で、原版・プリントとも発見できておりません。また機会をみつけて発掘作業を行い、見つけ次第アップしたいと思います。
なにはともあれ、この年のルマン参加者が(「20」に書き換えられた「19」を含めると)4台も保存されているというのはなかなかめずらしく、ポルシェ自体にとってもこの年のル・マンに対する思い入れが相当に強かったことがうかがえます。
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