0010:1966〜68年ルマン24時間
さて、0008で書いたように、69年までのルマンはフォードが4連勝していました。フォード・ワークスがルマンで初優勝したのは66年で、翌年も無敵の強さで連勝しましたが、それに恐れを抱いたFIAによるレギュレーションの変更でフォードの大排気量マシーンは事実上スポーツカー選手権から追い出された形となったのですが、3,000ccのプロトタイプカーと5,000ccの(25台の生産義務のある)スポ−ツカーとの争いとなった68・69年ともプライベートチームのJW・ガルフチームからの参戦でフォードはルマンを勝ち取ってしまったのです。
66年の優勝車、フォードGT Mk IIです(イタリア・Bang製)。ドライバーはB.マクラーレン/C.エイモン組でした。64年デビューのGT40の車体に7,000ccのエンジンを突っ込み、デイトナ24時間・セブリング12時間に圧勝し、ルマンも1-2-3フィニッシュで初制覇しました。ちなみに、車体の細かいディテールや塗色・デカールの違いを除けばモデルのプロフィールは0008のGT40と同一です。
翌67年は車体もより洗練されたMk IV(中国・ixo製)となり、D.ガーニー/A.J.フォイト組(共に米国人)のドライブでオールアメリカンのルマン初優勝となりました。本来、MK IIとIVの間に「フォードJ」という試験車があり、そのノウハウがつぎ込まれてGT40シリーズと異なり遥かにモダンなレーシングカーとなったのでしょう。
68年、レギュレーション変更によりフォードワークスは撤退したものの、すでに多数(50台!)生産されていたGT40は選手権の出場ができるため、英国のJWレーシングがガルフ石油のバックアップを受けてエントリーしてきました。オーナーのジョン・ワイアはかつてはアストン・マーティンの監督としてルマン制覇し、63年からフォードGTの開発にも関わっていた人で、GT40をコンペティティブに改修し、シーズン緒戦はポルシェ907の後塵を浴びたものの、ルマンを制したばかりでなくこの年のチャンピオンシップも獲得してしまいました。ルマン優勝クルーはP.ロドリゲス/L.ビアンキ組で、モデルはMk IV同様ixo製です。
翌年の優勝車、0008のGT40と同じ車体のはずですが「格好良さ」が違うのはモデルの設計年次とメーカーのセンスの違いなのでしょう。
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