0017:1960ルマン24時間(PF氏を偲ぶ)
今回のお題はフェラーリ250 TR60、1960年のルマン24時間優勝車です。ドライバーはO. ジャンドビアンとP. フレールでした。いわゆるテスタ・ロッサ(赤いカムカバー)の一族で、まだフロントエンジン・リアドライブ(FR)でした。
僕がカーグラフィック(CG)を初めて購入したのが1964年7月号、日本グランプリ出場者の写真目当てだったのですが、この号で(後にスーパーカーブームの立役者となった)ランボルギーニ・ミウラのインプレッションを執筆していたのが60年のルマン優勝後レーサーから引退し、モータージャーナリストとして活躍中だったポール・フレール(PF)氏だったのです。PF氏はその後もCGでの執筆を続けられ、我々が「乗ることの出来ない」名車のレポートを続けられました。来日も数多く、一般の読者の前にも姿をあらわしていてくれたにもかかわらず、とうとうお会いする機会には恵まれませんでした。
2月25日のwebCGの記事によれば、PF氏は91歳で2月23日に逝去されたとのこと。その後CGから出版された「CG45」には健筆が掲載され、遺稿となってしまいました。また、今月のCGには小林彰太郎創刊編集長による追悼記事がありました。僕自身のPF氏のイメージはミウラの記事にある、ドアを開け、ステアリングを握って後方を振り向いている姿が強烈に焼き付いており、書庫の奥から取り出した手垢だらけの誌面を開きました。PF氏のご冥福をお祈り申し上げます。
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