0012:第4回日本グランプリ(1967)
さて、前年度ポルシェを破った67年日本GPではプリンスは日産と合併し、あらたに日産チームとしてR380をよりアップデートしたR380-IIを持ち込みました。前年プリンスチームの一員だった生沢選手はプライベート参加で#8のカレラ6を、また滝選手は前年度のマシーンをノーズフィンを付けるなどして#6のナンバーも変わらずに参加、さらに前年のシェルビーコブラからやはりカレラ6に乗り換えた酒井選手#7も加わり、R380-IIが4台、カレラ6が3台の対決となりました。
生沢車#8、滝車#6です。生沢車のノーズとクォーターピラーにはトレードマークの丹頂鶴のマークが入り、また、ペプシコーラ・VAN(メンズファッション)のステッカーも貼られ、当時の人気の程が伺えます。モデルはどちらもエブロ製で、やはり生沢車から品切れとなりました。出来れば、滝車はノーズフィンを外した前年度型が是非欲しいところですが、エブロさん、ご検討いただけないでしょうか。
対する日産R380-IIは、高橋・砂子・大石・北野の4台で、#10の高橋車が生沢車と演じたトップ争いは今でも語りぐさです。また、生沢車と酒井車のカレラ6同士の競り合いから、30度バンクで酒井車がクラッシュしたことも忘れられないエピソードです。なお、このレースにはローラT70が2台レギュレーションに合わせてウインドウを建て増しして出場したこと、ピート・ブロック設計のヒノ・サムライとダイハツP-5がレース出場が叶わなかったことも書き添えねばなりません。なお、この日本GPの記事が載った「CARグラフィック」67年7月号が現在まで連綿とわが家に並ぶCG誌の「お買い初め」となりました。
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