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2013.07.24

幻の第47回葛飾花火大会

 昨7月23日、葛飾区江戸川河川敷で第47回葛飾花火大会が催され...るはずだったのですが、折からの豪雨で中止となってしまいました。警備にはあの「DJポリス」まで動員されていたそうだったのですが。
 僕は江戸川区医師会の理事会だったため京成小岩の「錦」で夕食をカミさんと摂った後、彼女を新柴又駅近くまで裏道を走って送り届け、柴又通りを南下していたところ突然の豪雨が始まったのでした。以下は、カミさんの体験談。

 雨が降り出した時、私は江戸川堤防に上がっていました。あと5〜6分もすれば花火の打ち上げが始まりそうな時に雨が降り出したので雨宿りができそうな場所....と周りを見渡すと北総鉄道のガードが。そこの下は警備用のライトが点いていて明るくなっていました。そうこうするうちに突然大粒の雨が降り出し、雷も鳴り始めました。河川敷にいた人たちが蜘蛛の子を散らすように土手を駆け上がるのが見えましたが、私はとにかく雨宿りを続けました。主人が心配しているといけないのでメールを打ちましたが、電話はあきらめました。もはや、花火大会ではなくあちこちに落ちる雷がみんな見渡せ、雷大会という有様でした。でも、私のいた場所では何のアナウンスも聞こえませんでした。
 なんとか雨が小降りになり、傘を差して帰途につきましたが途中の警備のアナウンスでは「今日の花火大会は中止です、明日への順延もありません」とのこと。どうも、発射寸前だった花火には雨よけのビニールシートをかけたり格納したりすることは不可能な状態での雨の始まりで、準備した花火は大半がダメになったらしい、という話が聞こえていました。土手の上を歩いて帰る人たちも大勢いましたが落雷が怖く、土手を越えて民家の間の道をたどって自宅まで帰り着いたのです。浴衣で来ていた人たちも多く、あの人たちはずぶ濡れになってどうやって電車やバスに乗ったのだろう、と心配しています.....。

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2013.07.18

「急病と社会の仕組み」日本病院会主催公開シンポジウム

1307 7月17日〜19日の期間、東京ビッグサイトで国際モダンホスピタルショウが開催されています。その一環として表記シンポジウムが開かれました。有賀徹(昭和大学病院院長)先生の基調講演に続き、前原和平(白河厚生総合病院病院長)先生と矢野久子(東京都品川区保健所所長)の講演までは拝聴できましたが後半は仕事の都合で聴くことが出来ませんでした。
 救急告示病院が10%も減少していること、病院収容までの時間が10年前に比し9分間も遅くなっていること、救急医療はやればやるほど赤字になること、入院の必要がない軽症搬送患者が5割以上あること、逆に時間外救急外来からの入院率が上がってきている(本来は救急車で来ても良かった患者さんたちが自力で病院へたどりついた)などなど、現在の救急医療のひずみが報告されました。また、こうした救急リソースをきちんと活用するための「病院のかかり方」への周知・啓発活動もなされていることも報告されました。
 印象的だったフレーズをふたつ。「以前は『手術がうまくいってよかった』と医者から患者さんに言える時代ではなくなった(手術はうまくいってあたりまえという風潮)」「在宅医療を支えるためにはかかりつけ医のグループ化も考えないといけない」。
 会場ではジャーナリストの熊田梨恵さんとご挨拶ができました。「救児の人々」の著者で、最近も文藝春秋への寄稿がありました。せっかくの機会だったのにゆっくりとお話もできない状況でしたが、お会いできて何よりでした。

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2013.07.16

第2回 医療系学生・社会人交流会@東京

1307 江東区の月島区民館にて表記イベントが開催されました。内原正樹さんをはじめとする医学生・医療系学生・研修医など有志の方々が大学の枠を越えて集まり、医療の将来を語りました。前半は5分程度の小プレゼン、後半は学生でありながら既に起業している(!)慶応の田沢雄基さんがご自分の取り組みや方向性に関するプレゼンを行い、熱いディスカッションも交えて楽しいひとときを過ごしました。
 僕たちが医学生だった頃には他大学の人たちと交流する場などは東医体(医学生の体育系部活の大会)ぐらいしかなく、卒業して入局してもまずは縦社会、その後学会活動をするようになってようやく他大学の皆さんと会話が出来るようになる、というのが普通でした。現在は医学生さん同士の連携の会は沢山あり、さらに研修医になる前に「レジナビ」などの研修先説明会もあるご時世となっています。隔世の感がありますが、現在日本医師会では医学生に医師会の役割を説明する冊子「ドクタラーゼ」を作成して無償配布したり(といっても認知度が低そうでした)、東京都医師会では野中会長ご自身が医学生へ医師会活動を紹介する講義をしたり、という以前には考えられなかったアプローチを始めています。これまで東京都医師会医療開発委員会で学生さんたちとのコンタクトを取ってきたため、今日は体を明けて参加してきました。いろいろ参加した皆さんたちとお話が出来て大変有意義な一晩でした。
 なお、参加してプレゼンも行った高梨裕介さんの医療学生ネット電子書籍「医療系学生の挑戦」もリンクしておきます。皆さん、本当にありがとう。

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2013.07.02

Bo K. Siesjo教授を悼む

1307bosse スウェーデンより訃報が届きました。1988年より91年まで留学していたスウェーデン・ルンド大学実験脳研究所教授だったBo K. Siesjo教授が6月27日天国に召されました。享年83歳。
 日本医科大学で赫教授-片山講師の元で実験的脳卒中の研究に手を染め、ルンド大学へ先に留学していた稲村先輩のご紹介でスウェーデン留学をすることとなり、88年10月に渡端することとなりました。研究室に就くなりいくつかのテーマを与えられ、文献検索を始めましたが結局日本で始めていた局所脳虚血(実験的に脳梗塞の動物モデルを作成する)をさらに推し進めることになり、准教授のMaj-Lis Smith先生のご指導の下再現性の高い塞栓子モデルを上梓することが出来ました。このモデルを用いたいくつかの研究のうち「虚血作成後に血流再開した場合、どのくらいの虚血時間があると脳梗塞が固定的なものになるか」という研究(Stroke誌掲載:1992)はその後の各種論文から引用を受けました。その他4篇の論文をまとめ、教授のご指導のもと学位論文として完成させ、晴れてルンド大学大学院の論文審査をパスし、学位を取得することが出来ました。こうしたご恩は筆舌に尽くしがたいものがあります。
8812bosse ルンド大学を定年退官された後、一時はハワイ・ホノルルのクイーンズメディカルセンターに招かれて研究生活を続けておられましたがご本人と奥様の体調不良などが重なりルンドへ戻って療養生活に入っておられました。その後早々に奥様を亡くし、お一人でホームの生活を楽しんで居られましたがとうとう帰らぬ人となってしまいました。昨年ホームを訪ねた時は昔から集めていた塑像や絵画のうち数点をお部屋に飾って昔と変わらぬ文字で万年筆を走らせていたのを思い出します。2枚目の写真はルンドでの研究に少しだけ光明が見えだした頃のものです。当時、釣り糸で塞栓子を作成していたため「大魚を目指せ」と立派な鱸をクリスマスプレゼントしていただいた時のものです。
 脳卒中研究の偉大なマイルストーンを築かれた方を亡くしました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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