「写真の川上」を悼む
中学生時代、僕は新聞部員でした。部室は石炭置き場の脇。写真を撮るのですぐそばにある写真部の暗室にも出入りしていました。とは言え、持っていたのは35mmハーフサイズの「キャノンダイアル35」。ゼンマイを使ったモータードライブが売りのカメラでしたが、自動車や女の子の写真を撮ったりするのが関の山。フィルム現像は自分でしたこともありましたが失敗も多く(写真部の友人の家で固定液のバットをひっくり返したり)、肝心なフィルムは写真やさん頼みでした。当時は小岩にも数多くの写真屋さんがありましたが自分が頼りにしていたのが京成小岩駅前の「写真の川上」でした。先代のご主人と二人の息子さんがお店をやっておられましたが、特に僕ら「カメキチ」坊やを相手にしてくれたのがご長男の恒弘さんでした。良く撮れた写真を持ち込んで引き伸ばしてもらうのですが、微妙にフレーミングを加減してくれて見栄えをよくしてくれたものです。ダイアル35がキャノンFTに代わり、高校に進んでも写真の面倒はずっとこちらで見てもらっていました。
その後、先代ご主人が亡くなって恒弘さんがご主人となり、弟さんが独立したり、という経過があり、栃木での医学生生活を終え医者になって小岩でカミさんをめとりました。子供が出来てカミさんと訪れると「あれ、中学の時写真撮ってたコじゃない?」と恒弘さん。中学の時追いかけていた女の子の一人が現在のカミさんだったのです。「よかったねえ、好きな子と結婚できて」と祝福してくれました。子連れの旅行の写真も沢山お世話になっていました。
その後カメラはデジタルになりお世話になることが減り、たまに証明写真を撮ってもらうぐらいのおつき合いになっていましたが数年前からお店のシャッターが下りたままになっていました。闘病生活を続けている旨の張り紙がでていましたが、昨晩近くで夕食を摂った後お店の前に来ると黒枠の張り紙が。恒弘さんの訃報が貼られていました。命日は11月4日。告別式も終わった後でした。ひょっとするとお店の前に呼ばれたのかも知れません。カミさんと二人で合掌して参りました。「写真の川上」を悼み、恒弘さんのご冥福を祈ります。いままで沢山の思い出をありがとうございました。
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